『テロに屈しない』2015/02/03 07:51

―てろ・に・くっし・ない 【テロに屈しない】

 (政治家にとって)国家の体面を守ること。

『夜間外出禁止令』2012/11/18 21:29

―やかん・がいしゅつ・きんしれい 【夜間外出禁止令】

 徹底した遵守を求めるつもりのない、とりあえず体裁を繕うための指令。有言不実行。

『脱原発』2012/07/05 20:32

―だつげんぱつ 【脱原発】 《名・ス自》

 「日本の原子力発電は安全です」という宣伝をすっかり信じ込んでいた人々が、放射能に恐怖を覚え始めたため、急に原発の存在自体を否定したくなった状態。

 「原発反対?じゃあ、電気使うなよ。」→「東電とか関電はとんでもない連中だ!」

スティーヴ・ジョブズ氏を悼む2011/10/06 21:22

 米アップル前CEOのスティーヴ・ジョブズ氏が亡くなった。

 僕はアップルの製品といえばiPodしか使っていないし、とりたててアップルのファンでも何でもないのだが、氏に率いられた同社がこの三十数年間いかに優れた業績を残してきたかは分かる。

 今人々がPCを当たり前のように使える状況になったのは、どんなに控えめに考えても、アップルの登場があったからなのは間違いない。80年代初頭の「マイコン・ブーム」をリアル・タイムで体験した者にとって、アップルの名は憧れそのものであった。当時、個人用のコンピューター最高峰といえばアップルだった。

 僕はアップルの全てを評価してはいないし(音楽のネット配信とか)、ここで氏の評伝みたいなものを書く気はない。ただ、僕が思う氏の偉大さについて触れてみたい。

 ずばり、スティーヴ・ジョブズの偉大さはその精神にある。体制への反逆、常に新しいものを求める姿勢。そして何よりも素晴らしいのは、多くの人々の心の深くに訴える作品(とあえてここでは言いたい)を生み出してきたことだ。

 アップルの製品に触れてみて思うのは、何て自由な発想に満ちているのだろうということだ。まるで人間の心を外界に開くための道具として存在しているみたいだ。工業製品なのに人を機能に従属させるような圧迫感が無い。これらがジョブズ氏の精神を体現したものであることは論を待たないだろう。

 氏に匹敵するような個性の持ち主というと、ほとんど思い浮かばない。あえてミュージシャンの中から探すと、登場がその後のシーンを一変させてしまった革新性という点でエドワード・ヴァン・ヘイレン、新たなコンセプトを生み出しそれを実現する創造性を長きに渡って保ち続けるという点でパット・メセニーといった人々だろうか。ちなみにエディもパットもジョブズ氏と同世代である。

 氏は人々に夢を見ようと呼びかけることのできる、現代では非常に稀有な企業家であった。企業家であると同時に芸術家であった。とにかく今分かっているのは、スティーブ・ジョブズのような人間は二度と現れないということだけである。

 また一つアメリカの偉大な精神が失われたことに心から追悼の意を表したい。

セバスチャン・サルガド―「人間の尊厳」2010/01/18 21:18

昨日、NHK教育の『日曜美術館』で「極限に見た生命(いのち)の美しさ‐写真家 セバスチャン・サルガド‐」の再々放送をやっていた。初回の放送と再放送を見逃していたので、今回ようやく観ることができた。

去年、恵比寿の東京都写真美術館で催された写真展『セバスチャン・サルガド―アフリカ』に行った。30数年間におよぶ取材の集大成であったが、その視点が一貫していて、どこを切ってもまぎれもないサルガドの写真であることに大きな感銘を受けた。

番組では、その写真展に合わせて来日していたサルガド自身が出演して、作品について語る形式だった。あの圧倒的な写真がどのようにして撮られていたのか、その一端が伺えて非常に興味深かった。

被写体となる人々と何ヶ月も一緒に生活し、その根源に迫る手法はフォト・ジャーナリズムの真髄であり、自分などはとても真似できるものではないと思い知らされた。

最も感銘を受けたのは、インタビューアの姜尚中の「あなたにとって人間の尊厳とは何か」という問いに対する答えだった。

曰く、「人間の生きる力そのものが尊いのだ」、と。

「人間の尊厳」は自分にとっても長年のテーマの一つであった。フランスの作家サン=テグジュペリの『人間の土地』を読んだ十代の頃からずっと考え続けていたことであった。

極限の状況下で人間の本質が表れるということは、サン=テックジュペリも『人間の土地』の中で語っている。英雄的行為を成し遂げるような選ばれた人々がどのように人間の本然を体現したのかについて。ただ、サン=テグジュペリは、普通人とてそれは同様なのだとも語っている。

正直僕はここが良く理解できていなかった。普通に生活している限り、人間は堕落してしまい、精神は死んでしまうのではないかと思っていた。だから自ら厳しい環境に身を置く者だけが、人間の本然を体現し、人間の尊厳を守ることができると信じていた。

だが、違うのだ。内戦や飢餓といった要因で人々は確かに普通の生活を奪われる。人間としての尊厳を奪われたような絶望的な状態でも人々は生きていかなければいけない。状況を打破する英雄的行動がある訳ではない。難民キャンプで人々はその環境に適応し、隣人関係やコミュニティーを作り、ただ生活していく。未来への希望があるわけでもない。しかし、人は生きていかなければならない。

僕はこういう生きる力そのものに人間の尊厳があるとは、不遜なことだけれども、考えたことがなかった。だからサルガドの発言は少なからずショックであった。そして近年忘れかけていたこの人間の尊厳というテーマの根幹に立ち返ることができたような気がした。

僕はサルガドのような写真を撮ることはできないが、何か別の大事なことをこの番組から教えられたような気がする。
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