『脱原発』2012/07/05 20:32

―だつげんぱつ 【脱原発】 《名・ス自》

 「日本の原子力発電は安全です」という宣伝をすっかり信じ込んでいた人々が、放射能に恐怖を覚え始めたため、急に原発の存在自体を否定したくなった状態。

 「原発反対?じゃあ、電気使うなよ。」→「東電とか関電はとんでもない連中だ!」

『再稼動』2012/06/16 21:33

-さいかどう 【再稼動】 《名》

 必要のないものをさしたる理由もなく、不慮の事態に陥った場合の損害はない、という思い込みに後押しされて、再び動かすこと。

スティーヴ・ジョブズ氏を悼む2011/10/06 21:22

 米アップル前CEOのスティーヴ・ジョブズ氏が亡くなった。

 僕はアップルの製品といえばiPodしか使っていないし、とりたててアップルのファンでも何でもないのだが、氏に率いられた同社がこの三十数年間いかに優れた業績を残してきたかは分かる。

 今人々がPCを当たり前のように使える状況になったのは、どんなに控えめに考えても、アップルの登場があったからなのは間違いない。80年代初頭の「マイコン・ブーム」をリアル・タイムで体験した者にとって、アップルの名は憧れそのものであった。当時、個人用のコンピューター最高峰といえばアップルだった。

 僕はアップルの全てを評価してはいないし(音楽のネット配信とか)、ここで氏の評伝みたいなものを書く気はない。ただ、僕が思う氏の偉大さについて触れてみたい。

 ずばり、スティーヴ・ジョブズの偉大さはその精神にある。体制への反逆、常に新しいものを求める姿勢。そして何よりも素晴らしいのは、多くの人々の心の深くに訴える作品(とあえてここでは言いたい)を生み出してきたことだ。

 アップルの製品に触れてみて思うのは、何て自由な発想に満ちているのだろうということだ。まるで人間の心を外界に開くための道具として存在しているみたいだ。工業製品なのに人を機能に従属させるような圧迫感が無い。これらがジョブズ氏の精神を体現したものであることは論を待たないだろう。

 氏に匹敵するような個性の持ち主というと、ほとんど思い浮かばない。あえてミュージシャンの中から探すと、登場がその後のシーンを一変させてしまった革新性という点でエドワード・ヴァン・ヘイレン、新たなコンセプトを生み出しそれを実現する創造性を長きに渡って保ち続けるという点でパット・メセニーといった人々だろうか。ちなみにエディもパットもジョブズ氏と同世代である。

 氏は人々に夢を見ようと呼びかけることのできる、現代では非常に稀有な企業家であった。企業家であると同時に芸術家であった。とにかく今分かっているのは、スティーブ・ジョブズのような人間は二度と現れないということだけである。

 また一つアメリカの偉大な精神が失われたことに心から追悼の意を表したい。

お疲れ様でした。2011/06/20 22:13

 昨日の晩にクラレンス・クレモンズの訃報に接した。ダニー・フェデリシの時もそうだったが、事態をすぐには受け入れることができず、涙も出なかった。

 一晩明けても茫然自失だった。力が入らなかった。

 インターネットでニューヨーク・タイムスの記事を読んだ。当然というか、小さな記事しか載せなかった日本のマスコミとは違って、本格的な評伝が書かれていた。それから音楽情報系のサイトの記事やファン・サイトの投稿を読んだりして、次第に現実を受け入れ始めた。

 正直、近年のステージでのクラレンスは痛々しかった。もう、ブルースと一緒にステージを駆け回ることなんてできないのだという事実に言いようのない寂しさを感じた。

 Eストリート・バンドのピークは間違いなくリヴァー・ツアーの頃だったと個人的には思っている。あれほど強靭なグルーヴを僕は他に知らない。ヴァン・ザントが抜けた’84年以降は全く違うし、再結成後の’99年以降もまた別物だ。

 解散まではブルースにとってEストリート・バンドとは文字通りのバック・バンドだったのだと思う。音楽的絶対服従をメンバーに強いたからこそ、彼は「ボス」と呼ばれたのだ。 クラレンスの名演といえば「ジャングル・ランド」のソロが真っ先に挙げられるが、あれこそ正にその象徴だ。

 『明日なき暴走』30周年記念ボックスのドキュメンタリーで明かされたことだけれども、ブルースはクラレンスのソロを一音一音チェックした。あの名ソロはブルースの音楽的構想の外を出るものではなかったのだ。そもそも『明日なき暴走』自体、アレンジがきっちり固められたアルバムだ。結果的にクラレンスのサックスが全面的にフィーチャーされ、あのジャケットが生まれたのだろうけれども、音楽的には全てブルースが握っていたと言って良いと思う。

 確かに『明日なき暴走』の大半や「ロザリータ」なんかは、クラレンスがいないと再現が厳しいかもしれない。だが、ブルースの音楽は基本的にアレンジに縛られるものではないと思う。ジミ・ヘンドリックスのエンジニアだったエディー・クレイマーは「ジミの音楽は、たとえブリキ缶で演奏したって素晴らしいものになる」と語ったことがあるが、ブルースの音楽についても同じことが言えるだろう。

 まず、音楽ありき、なのだ。バンドありき、ではない。

 「ブラッド・ブラザーズ」以降、Eストリート・バンドはブルースの盟友的な立場になっていったが、音楽に対する姿勢は変わっていない。また、ポピュラー音楽である以上、ファンが求めるものを無視できない。毎回同じクオリティーで「ジャングル・ランド」のソロを演奏しなければいけないのだ。ブルースほどのミュージシャンのサイド・マンともなれば、重圧は相当なものだろうと思う。例え体がボロボロになろうとも、音楽を支え続けなければいけない。時にファンは残酷な存在になる。

 僕はボロボロなクラレンスの姿を見て、どこかで「もう、いいよ」と思っていたような気がする。年齢を考えればいつまでも過酷なツアーは続けられないだろうし、いつか終わりは来る。

 クラレンスのサマーソニック来日が急遽決定したというニュースを知ったとき、ふと僕は、不謹慎な話だけれども、「クラレンスはもう体が限界に来ているのかもしれない」と思った。まだ体が動くうちに日本に行ってパフォーマンスをしたいと思っているのかもしれない、と。だから昨日ソニーからメールが来ているのを見たとき、僕は嫌な予感がしたのだ。

 ただ、これほど耐え難いものはなかった。本当に僕は言葉を失った。体の一部が失われたようで、一人でいるとそのままどこか深いところに落ち込んでいってしまうような感じがした。

 子供の頃から好きだったミュージシャンが逝ってしまい、残された者は何をしたら良いのかを考える。彼らが残してくれたものを、次に伝えていくこと。言い古されたような気もするが、やはりこれしかないのだろう。 

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 お疲れ様でした、クラレンス。あなたは十分にブルースとその音楽を支えました。ゆっくり休んでください。そして、ありがとう。

『選挙』2009/08/29 18:59

―せんきょ【選挙】《名》

 日本特有の祭事。各参加団体ごとに駅前にのぼりを立てたり、山車ならぬ選挙カーを走らせたりして大騒ぎする。最終日には人気投票が行われ、政(まつりごと)に進出できる団体・人が選ばれる。当日はテレビ放映もされるなどして、それはもう大変な騒ぎである。

 こうして選ばれた人々が中央で国民の期待に反した行動をとっても、後の祭りである。
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