セバスチャン・サルガド―「人間の尊厳」2010/01/18 21:18

昨日、NHK教育の『日曜美術館』で「極限に見た生命(いのち)の美しさ‐写真家 セバスチャン・サルガド‐」の再々放送をやっていた。初回の放送と再放送を見逃していたので、今回ようやく観ることができた。

去年、恵比寿の東京都写真美術館で催された写真展『セバスチャン・サルガド―アフリカ』に行った。30数年間におよぶ取材の集大成であったが、その視点が一貫していて、どこを切ってもまぎれもないサルガドの写真であることに大きな感銘を受けた。

番組では、その写真展に合わせて来日していたサルガド自身が出演して、作品について語る形式だった。あの圧倒的な写真がどのようにして撮られていたのか、その一端が伺えて非常に興味深かった。

被写体となる人々と何ヶ月も一緒に生活し、その根源に迫る手法はフォト・ジャーナリズムの真髄であり、自分などはとても真似できるものではないと思い知らされた。

最も感銘を受けたのは、インタビューアの姜尚中の「あなたにとって人間の尊厳とは何か」という問いに対する答えだった。

曰く、「人間の生きる力そのものが尊いのだ」、と。

「人間の尊厳」は自分にとっても長年のテーマの一つであった。フランスの作家サン=テグジュペリの『人間の土地』を読んだ十代の頃からずっと考え続けていたことであった。

極限の状況下で人間の本質が表れるということは、サン=テックジュペリも『人間の土地』の中で語っている。英雄的行為を成し遂げるような選ばれた人々がどのように人間の本然を体現したのかについて。ただ、サン=テグジュペリは、普通人とてそれは同様なのだとも語っている。

正直僕はここが良く理解できていなかった。普通に生活している限り、人間は堕落してしまい、精神は死んでしまうのではないかと思っていた。だから自ら厳しい環境に身を置く者だけが、人間の本然を体現し、人間の尊厳を守ることができると信じていた。

だが、違うのだ。内戦や飢餓といった要因で人々は確かに普通の生活を奪われる。人間としての尊厳を奪われたような絶望的な状態でも人々は生きていかなければいけない。状況を打破する英雄的行動がある訳ではない。難民キャンプで人々はその環境に適応し、隣人関係やコミュニティーを作り、ただ生活していく。未来への希望があるわけでもない。しかし、人は生きていかなければならない。

僕はこういう生きる力そのものに人間の尊厳があるとは、不遜なことだけれども、考えたことがなかった。だからサルガドの発言は少なからずショックであった。そして近年忘れかけていたこの人間の尊厳というテーマの根幹に立ち返ることができたような気がした。

僕はサルガドのような写真を撮ることはできないが、何か別の大事なことをこの番組から教えられたような気がする。

美瑛、北海道、2008年2009/06/20 21:02

美瑛、北海道、2008年
Leica M4-2, Summilux 1.4/35, Tri-X

蛇口、御茶ノ水、2008年2009/06/06 14:38

蛇口、御茶ノ水、2008年
Leica M3, Summaron 3.5cm f3.5, NEOPAN 100 ACROS

ある助言2009/05/14 23:18

 写真を撮ることが少なくなってきている。理由としては、ネタがなくなってきたことに尽きるのだが、それ以前に何の為に写真を撮るのかを考えたら分からなくなってきた。

 写真は被写体に出会わないと始まらない。「たかが趣味なのだからと割り切って撮りたいものだけ撮ればいいじゃないか」と他人からは思われるかもしれないが、自分の興味対象は風景なので、テーマでも決まっていない限り、ネタが尽きたからといって毎回同じ場所に出かけて撮影するのは結構苦痛なのだ。

 これが音楽ならば、家にいても楽器さえあれば始められるし、場合によっては頭の中だけでも完結することだってある。風景写真は外に出ないことには何も始まらない。当たり前だけれども。

 そんな中こういう一文を発見した。ほぼ全部引用させていただく。

「(前略)写真は出会いと発見です。頭の中でいくら構想を練っていても当然のことながら写真は写りません。忙しいときには、何も遠出しなくても写真はいくらでも撮れるのです。少しの時間が出来たらカメラを持って自分の住んでいる町を歩きましょう。毎日のように歩いているところでもカメラを持って歩くと不思議と新しい発見に出会えるものです。見慣れた街筋も季節によっても天候によっても新鮮な視点を作ってくれます。少しの時間がありましたら、家から半径500メートルの挑戦を是非試してみてください。きっと何かが見えてくるはずです。(後略)」

 これは、光学メーカーであるタムロンのHP上の会員向けフォトコンテストで、選者の木村惠一先生が総評としてかかれたものだ。

 ごく当たり前のことが書かれているのだけれども、こう読み替えることも出来よう。

 「近所で被写体を見つけられないような観察力の持ち主では写真をものにすることはできない」

 だが、「近所を撮ってみなさい」という助言は厳しくも優しい響きをもって心に沁みた。

 写真とは観ることと見つけたり、である。

五反田、東京、2007年2007/12/08 23:28

五反田、東京、2007年
Leica M4-2, Summilux 1.4/50, Tri-X
Copyright © 苦楽険斗