プロデュース2007/11/15 22:40

腑に落ちない言葉シリーズ・その2

「プロデュース」という言葉がやたら巷に溢れるようになったのは、いつ頃からだろうか。某アイドル・グループを売り出して一世を風靡した元ミュージシャンが出てきた辺りではないか、と個人的には考えている。

「プロデュース(produce)」もまた広義の概念であり、上手く当てはまる日本語はない。「生み出す」とか「作り出す」といった意味になるが、接頭語”pro-”が付いていることから分かるように、ラテン語起源の言葉だ。

一般的なのは、音楽や映画、テレビの世界における「プロデューサー(prodeucer)」であるが、これは「製作総指揮」といった意味である。「ディレクター(director)」と意味が被るところもあるが、ディレクターより全般的な責任を負うのが、プロデューサーであろうか。

いずれにしても、何も無いところから、バラバラの要素をうまくコントロールし、まとめ上げて、新しいものを創り出していく仕事のことをいうのは間違いない。

現在日本で一般的な「プロデュース」の使い方としては、「○○をプロデュースする」といったものが挙げられる。「自己プロデュース」なんていう言葉もある。既存のモノや人に対して、「プロデュース」するとは一体どういう意味なのか。

良くあるのは、「冴えない○○をプロデュースして、一躍人気者にする」といったものだが、突き詰めていくと、これはどうやら「演出」のことらしい。

本当は実を伴っていないのに、演出の仕方によって、ものすごい価値があるかのように見せかける、というのがその実態であろう。テキヤ商売と大差ない。

同じような感じの言葉として「自己実現」という言葉がある。実現すべき自己というものがあって、それを目指して努力することをいうようだが、これも不思議な言葉だ。

未だ実現されない自己があるとしたら、今ある自分は一体何者なのか。食事をしたり、トイレに行ったり、睡眠をとったりしている自分は真の自己ではないというのか。

瞬間そのものの連続として存在するのが自己である。今は自己ではないが、明日には自己になるというのは矛盾していないか。「ダイエットは明日から」論法と大差ない。

創造することが一義である。見せかけをいじることは、真の意味での創造ではない。
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