少年モーツァルト ― 2007/10/12 22:43

鉄道の自動改札システムがダウンしてしまい、今朝は全ての改札を素通りしていった。変な朝だった。まだ駅の改札に人が立っていたのは何年前のことだっただろうか。当時からすれば考えられない光景だ。混乱を避けることを考えれば鉄道各社の判断は正しかったが、システムの不可逆性をまざまざと見せつけられた思いがした。

それにしても変な朝だった。前の晩に珍妙なボクシングの試合があったのに、あれほどバッシング好きなマスメディアが何故か大人しい。必要以上に何かを守ろうとして結局全てを失ってしまった家族の姿はあまりに痛々しく惨めで、叩くまでもなかったということだろうか。徒労にも似た感覚が人々を支配しているような気さえする。

今日も仕事を終えるのが遅くなり、ちょっと疲れて帰宅の途についた。仕事のことをいつまでも引きずらない自分ではあるが、このところなかなか早く帰れない日々が続いていて、少しうんざりしている。うんざりするといえば、電車の中という所もまたそうなのであった。僕は普段は電車の中では読書をしているか音楽を聴いているかなのだが、大抵隣に座っている人間や前に立っている人間が自己主張しているので、ゆっくりできることは稀である。

そこに乳母車を押した母親が車内に入ってきた。僕は何気に目をやって、次の瞬間には実に微笑ましい気持ちになった。その赤ん坊がとても愛らしい表情をしていたのである。僕はあまり子供は好きではないが、その子を思わず愛撫してあげたくなった。ちなみに、僕はいつもカメラを持ち歩いているのだけれども、今日ほど赤の他人の顔を写真に撮りたいと思ったことはなかった。

サン=テグジュペリの『人間の土地』にこんな場面がある。長距離列車に乗り合わせたサン=テグジュペリが、列車の中全体を見たくなり、夜中に車両を歩いて廻る。ポーランド人労働者達が乗り込んでいる三等車に入ると、サン=テグジュペリはその様を見てあれこれ考察を始めるのだが、眠りこけている一組の夫婦の前に来てある発見をする。夫婦の間で眠っている子供の顔を見て彼は感動するのだった。

 ”おお! なんという愛すべき顔だろう! この夫婦から、一種黄金の果実が生まれ出たのだった。この鈍重な二人の者から、美と魅力のこの傑作が、生まれ出たのだった。ぼくは、このつややかな額、この愛すべき唇のやさしい表情の上にうつむいた。そうして、ひとり言をもらした、これこそ音楽家の顔だ、これこそ少年モーツァルトだ、これこそみごとな生命の約束だと。” (新潮文庫『人間の土地』 堀口大學訳より)

僕はサン=テグジュペリと同じような心境だった。多分この子は素晴らしい人間になるに違いないと、あれこれその子がたどるであろう道を想像した。

若い母親は狭い車内で乳母車が邪魔になるのを気にしているようで、絶えず周囲に気を配りつつ、赤ん坊にも注意をしっかり払っていた。電車の中で母子を見かけることはよくあるが、大抵自分の子供には無関心な母親ばかりだ。携帯電話にかまけていて子供が騒いでも全く気にしないとか、相手にしてもらいたがる子供を邪険にしたりとか、見ていて胸が痛くなる。

この母子の姿は、僕には理想的なものに映った。若くしっかりした母親ときちんと愛情を注がれている子供と。実に美しい光景だった。こういう母子がいる限りまだこの国は大丈夫だ、などと訳の分からないことを考えてしまった次第である。


こういう一日もあるから人生は面白い。
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